東京地方裁判所 平成元年(行ウ)55号 判決 1991年9月09日
原告 甲野太郎
被告 東京都教育委員会
右代表者委員長 石川忠雄
右訴訟代理人弁護士 白上孝千代
右指定代理人 島田幸太郎
<ほか一名>
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対してなした昭和六三年三月二九日付け懲戒処分(戒告)を取り消す。
被告は、原告に対し、金四万一八二二円を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 原告は、昭和六三年三月当時東京都立日比谷高校定時制の教諭であった。
2 被告は、昭和六三年三月二九日原告に対して、「昭和六二年一一月一九日都立学校生活指導研究協議会(箱根宿泊集会)において、同集会の傍聴を要求し、教育庁職員の制止を無視して同集会の会場であるホテル敷地内に押し入り、さらに同会場の玄関付近で受付をしていた職員に体当りを繰り返し受付業務を一時中断させた。」との処分理由で戒告処分(以下「本件懲戒処分」という。)をした。
3 原告は、本件懲戒処分により昭和六三年四月一日の定期昇給を三か月延伸され、かつ、同年度の勤勉手当を一〇パーセント削減され、合計四万一八二二円の減額となった。
二 争点
本件の争点は、被告が原告に対してなした本件懲戒処分が適法であるかである。
(原告の主張)
1 都立学校生活指導研究協議会は名前は協議会となっているが、その名称に研究という言葉が含まれているように研究を重要な使命とする集会である。教員の研究は教育公務員特例法の中では研修の中に位置づけられている(同法一九条)。本来、教員には研究の自由が保障されなければならず、たとえ、行政研修を行なう場合であっても教員の自主性と自発性を侵害することがあってはならない。ところが、昭和六二年度の箱根での協議会(箱根宿泊集会、以下「本件研修会」ともいう。)は、職務命令によって教員の参加を強制する形で行なわれているが、このような研修は命令研修であり、教員の自主性と自発性とを侵害するものであって違法である。原告が違法な研修を妨害したとしても違法とはならない。
2 公教育に関する研究会等は本来公開を原則とすべきものである。なぜならば、公の問題に対する国民の知る権利を保障し、広い範囲からの自由な批判や討論を可能な限り保障し、教育の密室化による独善を防ぐためにはこれらの研究会を公開にすることが必要だからである。本件研修会のような命令研修は特に問題であり、調査、検討、批判を必要とするから、その傍聴を要求することは憲法上の知る権利に基づくまったく正当な行為である。被告がこの正当な原告の行為に対して懲戒処分をすることは違法である。
3 被告の処分理由の中に、「職員に体当りを繰り返し」、「受付業務を一時中断させた」とあることは事実に反している。また、被告は、意図的に原告と関係のない人の行為を原告がしたようにしたり、意思の共同がないのにあるようにしたり、軽微な行為をことさらに強調するなどしているのは不当である。受付で混乱が起きた原因は、原告らの傍聴要求のためではなく、被告の要請により現場に私服の警察官がいたことについて本件研修会の参加者が抗議をしたことにあり、当局の責任によるものである。
以上の点を考慮すると、傍聴要求の正当性の問題を別にしても、原告を懲戒することは許されず、本件懲戒処分は違法である。
第三争点に対する判断
一 本件研修会と原告の傍聴要求について
都立学校生活指導研究協議会は、東京都立学校の生活指導上の問題について、情報、意見を交換して問題の解決をはかるとともに、望ましい生活指導の推進について研究協議し、各学校において活用することを目的とするもので、東京都教育庁指導部の主催で行なわれ、各学区で行なわれるものと、箱根で宿泊集会として行なわれるものとがあった。
東京都高等学校教職員組合(以下「都高教」という。)は、教員の研修は、自主、民主の原則で行なわれるべきであると主張していたが、昭和六二年度になり被告が初任者研修の試行を行なうこととしたことから、初任者研修試行に反対するとともに右生活指導研究協議会についても命令研修に組込まれるとして、原則不参加を組合員に呼び掛けた。その結果学区の協議会の参加者は激減した。昭和六二年度の箱根宿泊集会は一一月一九日、二〇日の両日にわたり、神奈川県足柄下郡箱根町所在箱根高原ホテルにおいて開催されることとなったが、都高教はこれについても不参加態勢を取っていたので、被告は各校長に対し不参加者を説得するとともに不参加を維持する者に対しては職務命令を出すように指示した。その結果、不参加を維持する者に対して各所属学校長から職務命令が出されたため、都高教は、組合員に対して本件研修会に参加はするが実質的に協力しないように指示した。
原告は、都高教の組合員であるが、教員の研修については都高教が機関決定した自主・民主の二原則以外にも公開の原則が必要であると主張していたので、都高教とは別にあくまでも公開の原則も主張していこうと考え、個人の行動として、本件研修会の傍聴を被告に対して要求しようと考えた。
二 本件研修会当日の状況と原告の行為について
1 本件研修会を開催する以前に、原告を含む都高教の一部のグループから研修の傍聴を要求され、トラブルとなることがあった。被告は、本件研修会が民間のホテルで行なわれることから、右一部のグループが建物に侵入したり、器物、施設を損壊する事態があってはならないと考え、小田原署に警備を依頼した。
被告は、昭和六二年一一月一九日当日、本件研修会の参加者及び教育庁の担当職員以外の者についてはホテル敷地内立入り禁止とし、ホテル玄関から約一〇〇メートル手前と研修会場入口前に、箱根高原ホテルと被告の連名で「許可のない者の立ち入りを禁止します。」と記載した立札を立てた。
2 原告は、糟屋昭とともに同日午前一一時一〇分ころホテル玄関口から一〇〇メートル手前にある立入り禁止の立札付近に現れ、そこにいた被告の職員犬丸章門ら三名に対して本件研修会の傍聴を要求するとともに通行しようとした。犬丸ら三名が前に立ちふさがってこれを阻止すると、原告らは自己の体で右三名を押し退けるようにしてなおも立ち入ろうとしたが、抵抗に会いできなかった。原告らは、立ち入ろうとするのを一時止め、ビラを配付したり、前記立札を引き抜いたりした。
3 同日午前一一時五五分ころ福井祥、藤田勝久が現れ、前記場所にいた犬丸章門ら四名に対し、「協議会の傍聴を要求する。」と言いながら、その場を通り抜けてホテル玄関前に向おうとした。前記四名の職員のうち、犬丸ら二名が立入り禁止であると告げてこれを阻止しようとしたが、福井らは前記犬丸に体当りしてこれを押し退け、ホテル玄関に向った。この間に原告も糟屋とともに福井の後に続き、これを阻止しようとした他の二名の職員を押し退けてホテルの玄関口まで達した。
4 右ホテル玄関には、その入口両側に約一メートル幅の通路を置いて、向い合せに長テーブルを配置し、それぞれ、被告の職員九名が受付業務を行なうこととし、受付を終った参加者は、その通路を通ってホテル・ロビーないし宿泊室に向うことになっていた。
原告は、福井、藤田、糟屋とともに、この長テーブルの間を通ってホテル玄関に入ろうとしたので、右受付業務に当たっていた職員らは、前に立ちはだかって阻止しようとしたが、原告らはこれに体で激しく押してホテル内部に立ち入ろうとした。そのため午後一二時一〇分ころまで受付現場において押合いが続き、その間受付業務が完全に停止した。
5 右事実によれば、原告は実力で本件研修会を妨害したものであり(原告以外の福井、藤田、糟屋も傍聴要求について原告と同一の考えを持っていたものであり、前記4の事実については原告ら四名は暗黙のうちに意思相通じて行動したものと判断でき、共同責任を負うというべきである。)、これは地方公務員法三三条に規定する職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となる行為に該当し、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行にも該当するので、同法二九条一項一号、三号の懲戒事由に該当するというべきである。
三 原告の命令研修が違法であるとの主張について
原告は、本件研修会は職務命令によって教員の参加を強制する形で行なわれており、このような命令研修は違法であると主張している。
思うに、被告は都立学校教員の任命権者であり、地方公務員法三九条一項、二項、教育公務員特例法一九条、二〇条、地方教育行政の組織及び運営に関する法律二三条八号により適法に教員の研修を行なうことができるものであるから、一般的に研修への参加を強制できるものと解すべきである。もちろん、教員の研修については教員の自主性を尊重することも重要であるから、職務命令を出して出席を強制することは慎重でなければならず、場合によっては出席を強制された当該教員との関係では当該命令が違法となる余地もありうると解される。しかしながら、それは、あくまでも命令を受けた当該教員との関係で当該職務命令が違法となるにとどまり、研修の開催自体が違法になるとは到底解されない。したがって、研修の妨害が許されないことは当然であり、本件研修会を妨害した原告の行為が違法であることも当然である。原告の主張は採用できない。
四 原告の知る権利による正当な傍聴要求であるとの主張について
原告は、本件研修会の傍聴を要求することは憲法上の知る権利に基づくまったく正当な行為であるから、これに対して懲戒処分することは違法であると主張している。
思うに、知る権利の中には情報を受ける権利だけではなく、情報を求める権利が含まれていると解されるが、傍聴ということは単に情報を求めるということそれ以上のものであって、知る権利の中に傍聴を請求できる権利が含まれているとは当然には解されない。
また、現行法上研修会の傍聴を認めた旨の規程はなく、認めるかどうかは教育委員会の自由裁量に属すると思われ、本件研修会の傍聴を原告に認めなかったことが違法になるとは思われない。原告の主張は採用できない。
五 懲戒処分の程度について
原告は、受付で混乱が起きた原因は、原告らの傍聴要求のためではなく、被告の要請により現場に私服の警察官がいたことについて本件研修会の参加者が抗議をしたことにあり、当局の責任によるものであると主張している。
なるほど、本件研修会初日の午後一二時一〇分ころから一二時三〇分ころまでの混乱は、ホテル玄関に被告の要請した私服の警察官がいたことから、本件研修会の参加者との間で騒然とした状況となったことによるものであり、その間、受付業務が完全に停止したことは認められるが、午後一二時一〇分以前の混乱は、原告らの傍聴要求に基づくものであり、右時刻までの受付業務の停止の責任は原告らにあるといわなければならない。この点についての原告の主張は採用できない。
そこで、原告に対する懲戒処分の程度について判断するに、地方公務員に懲戒事由がある場合に、懲戒権者が当該公務員を懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる懲戒処分を選択すべきかを決するについては公正でなければならないことはもちろんであるが、懲戒権者は懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等その他諸般の事情を考慮して、懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定できるのであって、それらは懲戒権者の裁量に任されているものと解される。したがって、右の裁量は恣意にわたることを得ないことは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱しこれを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日判決民集三一巻七号一一〇一頁参照)。
これを本件についてみるに、原告は、前記二で認定した如く、教員の研修につき公開の原則を主張して本件研修会の傍聴を要求し、制止を無視して実力で研修会場に立ち入ろうとしたものであるが、原告の行為の原因、動機、性質、態様、結果、特に原告らの行為により現実に受付が妨害されるという実害が発生していること、他方、戒告は懲戒処分の中では一番軽い処分であること(地方公務員法二九条一項本文)、その他の諸般の事情を考慮すると、原告に対する本件懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとは思われず、被告が懲戒権者に任された裁量権の範囲を越え、これを濫用したものと判断することはできない。
六 以上によれば、本件懲戒処分には違法な点はなく、本件懲戒処分の取消等を求める原告の請求は理由がない。
(裁判官 草野芳郎)